取りとめのないお葬式の話
更新日:2017年2月23日
この間、祖父の十七回忌があったこともあってちょっと思い出していたんですけども、お葬式とか法要とかって子どもの事に参加するともの凄いインパクトがあるものだよな、と
凄く思うんですよね。
子どもの頃は、冠婚葬祭に関わることなんてほとんどないので余計なんでしょうけども、記憶に残っている一番振るいのは「おじさん」と呼んでいた、祖父のお兄さんのお葬式。
従兄弟よりも遠いはとこ、とかと同じ部屋で特に何をする事も無く子供たちは集められていて、お葬式の詳しい作法も何も分からないままに親戚の家に居たことだけが凄く覚えていること。
その次にお葬式に参加する事になったのは、いなかの祖母のお葬式。
おじさんの頃よりも若干大人になった高校生の時だったので結構詳細なことを覚えている年齢。おじさんの時は、小学生だったから。
祖母の時は、いなかなのでお通夜もお葬式も自宅でしたし、そのまま納骨まで一気にやったんですよね。
何と言っても祖母の住んでいる地域は土葬の風習のある地域なので、お葬式をしたその足でお墓まで行って、棺桶ごと埋めるまでが一連のお式だったんですよ。
お通夜の為にいなかに帰って、ここでも子供は出番がない、と応接間に押し込められてましたねー。
いなかなので、何かと風習や決まりが細かいみたいで全部家でしないといけない。お嫁さんは表に出てはいけない。お通夜、お葬式の間の食事は何を出さないといけない。出してはいけない。祭壇には何を飾らないといけない。飾ってはいけない。と、大分自分も大人だったので、親の話していることなんかを漏れ聞いたものと合わせて色々覚えています。
お通夜の日もお葬式の日も、お坊さんの来る間以外は従兄弟だけで集められて応接間に居たんですけどね。結構従兄弟の年の差が大きいので、一番上と一番下では6歳くらい離れてるので、自分が高校生で最年長だったので一番下の子は小学生だったんですよね。
お通夜の日は、仏壇のある部屋に前から順番に祖父、息子、孫、と座らされてその後ろに他の親族と言う感じで血の繋がりの順番で、座る。
この辺りは普通と似てるようにも見えるんですけど、お嫁さんだけは一番後ろで、お寺さんの読経の間も台所で食事の支度をしなければいけない。みたいな決まりだったみたいです。
祭壇には立派な葡萄(夏だった)が飾ってあったけど、葡萄はいいとかダメとか、色々言われていた気がします。
お通夜もお葬式も慌ただしくすんで、夏のお昼間にいなかの家からお墓まで歩いて移動するんですけど、お葬式の日の朝、近所の人が祖母を埋めるための穴を掘りに行った話しを聞きました。
最近は、死ぬ人が多いから前にどこに穴を掘ったか、次に彫る場所が決まっているものの、まだ前の人の骨が出てくる。と言う話をしていて、もの凄い衝撃。
高校生とは言え、お葬式の経験はほとんどないに等しいとはいえ、流石に火葬だと思ってますからね。
家から棺桶を運び出して、棺桶に時代劇で見るような、駕籠屋さんの担ぐ棒のような、縄と木の棒が通してあって、息子とその長男のお嫁さんが草鞋を履いて棺桶を担いでお墓まで行ったんですよ。
棺桶の次は、孫たちが長男の息子、次男の息子、と順番に血の濃い順に遺影や位牌を持ってその後に続いて、その後に親族、参列者、でやっぱり一番最後がお嫁さんだったみたいです。
遺影を持って前の方を歩いていたので、実はその時うちの母がどこにいたのか、どのくらい後ろに居たのか、は分からないんですよね。
もしかしたら、お墓には行かずにその後の食事の用意の為に家に居たのかも知れない。くらいに、血の繋がりの有る無で位置づけが違ったことだけは、覚えています。
いなかのお墓は、子どもの頃からお彼岸のたびにお墓に行ってはお参りする祖母の背中を見て来てずっと謎だったんですけども、そう言えば田舎のお墓は小さい石がいくつか置いてあって、どこからどこまでがうちのお墓なのか分からないんですよね。
けど、よく考えたら普段自分が扱っているお墓みたいにお骨がそのお墓の下にある。って言うものじゃないので、未だに祖母のお骨がどこにあるのかは曖昧なままです。
棺桶を、そのまま埋めた。土をかけたことまでは覚えているものの、それが「どこ」だったのかは覚えてないんですよね。
今でもあの辺りはまだ、土葬なんだろうか。と思いつつこの間従兄弟に聞いた話では、最近お墓も区画整理があったみたいで、お墓の場所も細い道を随分登って行ったのが、下の方に移っていた、と言う話しなのでもしかしたら土葬の風習そのものが終わったのかもしれませんね。
その内に、記憶だけを頼りに見つからないお墓でも、探しに行ってみようかな…。