三好山 

久しぶりのブログです。皆様お元気でしょうか?             一昨年末からのコロナ禍で、私達の生活は随分変わりました。      大変なことだらけではありますが、そんな中 新しい発見、出会いがあったのではないでしょうか?                    私は、ウォーキングがそれでした。休みの日はスポーツジムに通っていた生活がジムが休館になったり、感染防止で人数制限などあり通いにくくなり、近所を歩くことが多くなりました。

お友達に連れて行ってもらった摂津挟、三好山ハイキングに感激し、その後、幾度となく三好山へ!!

高槻に暮らしてうん十年、子供の頃から親しんだ摂津峡、芥川ですが芥川山城や三好山の存在を知らず、ましてや芥川山城城主 三好長慶が当時の畿内を収め天下人であったなど全くの初耳でした。(私、相当な歴史音痴です(泣))

芥川山城については、昨年のたかつきDAYS12月号で掲載されており

”摂津峡を見下ろすように立つ三好山に位置した芥川山城は、府内最大級の山城で三好長慶の時代には畿内を統括する要の地としての役割がありました。”                      ”細川高国が築き細川高国との戦いを制した細川晴元、さらにその家臣の三好長慶が晴元を追放し1553年から居城としました。     この時代芥川山城には、立派な御殿があり戦い向きの山城に本格的な御殿が建てられることは珍しく城主の権力を示すものでした。”とあります。                                その後、信長により芥川山城は、攻め落とされ城主は、足利義昭の家臣和田惟政、高山飛騨守と変わったそうです。