ペット供養 

更新日:2016年1月10日





最近は、ご供養にも色んな形があるなぁ、と思う事も多いのですがここ数年で凄く数が増えていると感じるのが「ペット」さんに対してのご供養じゃないでしょうか。

もちろん、亡くなった方へのご納骨や、お墓へのお戒名のご彫刻、周忌法要などと同じか、場合によってはそれ以上の手厚い供養が行われるのがペットさんな気がします。

京石の扱う、明治の森霊園でもペットさん専用の「永代供養塔」が少し前に完成し、毎年一定数のご納骨があります。

今現在、供養塔ないには犬さん、猫さんを始め、ウサギさんのご供養も承り、合祀されています。

近々にご納骨させていただいた分だけでも、豪華なお花をお供えされる方、大好きだったジャーキーをお供えされる方、お写真を飾って最後のお別れをされる方、と色々です。

そのどれもに共通するのは、人に対するものと変わらないだけの、供養の心でした。

ペットさんのご納骨の時は、お元気だった時のお話や、思い出を聞かせてくださる方も多くて、それだけ大切な家族を失くされたんだと、感じます。

ペットロス、なんて言葉で失くされた悲しみを表されることもあり、人の気持ちの大きさを思い知ります。

亡くなられたペットさんも、お見送りされたご家族様も、皆さま安らかな気持ちになってくださいますように、と思いつつ今日もペットさんのご納骨をさせていただいたのでした。




えべっさん 

更新日:2016年1月9日





商売繁盛笹もってこいっ!と言う事でお正月も終わって、七草がゆも食べて、やってきました「えべっさん」

子どもの頃は、えべっさんってお正月の後にあるお祭(夏祭り的な意味の)だと思って毎年行っていた気がします。

別に家がお商売をしてるから、と言う事ではないのですが祖父がお商売人だったせいか、我が家ではえべっさんは普通に毎年の恒例行事でした。

祖父が亡くなるまでは普通に毎年行っていたので当たり前だと思っていたんですけど、案外知らない方もいるんですよね。

大人になって、関東の友人も出来て、ふとそんな話をした時に、通じなくてビックリしたことがあります。

ニュースとかで、毎年福男のニュースもやってますけどその他はあんまり聞かないですもんね。

「えべっさん、って全国共通じゃないのか」と言うのが数年前の結構大きな衝撃の事実でしたし。

さてさて、そのえべっさんですが、お参りが終わった後に買ってもらうベビーカステラや何かを楽しみに行っていたわけなんですけども、よく考えると面白い事をしてたなぁ、と今更ながらに思います。

初詣なんかと同じで、おまいりして、その後が面白いんですよね。

福娘、って言うんですかね。神社で見る巫女さんとはまたちょっと違う恰好をしたお姉さんが沢山笹を売っているのですが、金額によって大きさや、笹についてくる飾りが違って、「子どもが行ったらおまけとか貰えるから」と、お金握らされて買いに行かされていた気がします。

小さい笹に、一つか二つ飾りがついた物を買うのですけども、残り福、とかの頃になるとホントに、おまけに、って千両箱とか鯛とかの飾りをおまけに付けてもらえるんですよね。

その他にも、なぜか凍ったマグロが置かれていて、そこにお金を張り付けたりした記憶があります。

大人になって、最近はすっかり行かなくなったえべっさんですけども、結構覚えているものです。





後悔 

更新日:2016年1月8日




いきなり不穏なタイトルですが、お墓に関するお仕事をするようになって、日常生活を普通に過ごして学生時代を終え、就職して社会に出て…と誰もが通るような普通の生活をしていると、避けられない事でいて、正解のないよく分らない事が、お墓に関する事なんじゃないか、と言う気がします。

お客さんとお話する中で、これってどうしたらいいの?

こんなことをしても大丈夫?

と一番お客さんの疑問が多いのが、お骨のお話。

お骨を分けて何ヶ所にも納骨してもいいの?

とか

分骨をして二つのお墓にお骨を納めたのに、手元供養にも更に分けたいんだけどそんなことをしてもいいの?

とか、お骨をどうすればいいのかというお話をよく耳にします。

人によって、お話を聞くお寺さんによっても答えや考え方の違う事だけに、悩みますよね。

その他でも、お墓はいらないと思っていたけども、いざ身近な方が無くなってみて、小さくてもいいから何か「拠り所」になるような「カタチ」が欲しいと思うようになった。

というお話もよく聞くお話。

ここで、タイトルの後悔、という言葉に繋がるのですが、誰か人が無くなると、今の日本ではほぼ間違いなく「火葬」を行われると思います。

最近は葬儀の簡略化で、お葬式もお通夜もしないで、と言う事もあるようですがそれでもやっぱり火葬だけは行われていると思います。

火葬場で、お骨を拾っていく、なんてことはきっと一生のうちにそう何度も経験することではなくて、葬儀や、お墓へのご納骨だって、経験のないこと。

そして、学校ではそういう時どうしなさい、どうすればいいですよ、とは教えてくれないのですよね。

いざ、お葬式に参加することになって、お焼香ってどうすればいいの?

数珠ってどっちの手に持つもの?

よく分らなくて、周りの人の見よう見まねで参列していた記憶が自分にもあります。

そんな時、ちょっと後悔したり…。

そして、そんな後悔では取り返しのつかなくなることが、先ほどの火葬の時に起こるのです。

後になってみて、お骨を「貰っておけば良かった」と思った場合、もうどうしようもないんですよね。

最近は、火葬場でのお骨を拾わずに帰る方も中にはいらっしゃるそうで、そんなお話を聞くと、ちょっと寂しくなります。

後になって、お墓に納めるものがなくって、なんて後悔は、出来ればしてもらいたくないなぁ、と。

ほんの少しでもお骨を手元に持たれていると、きっと「貰ってきたら良かった」という後悔はしなくてよくなって、時間がたった後でも、小さくてもいいからお墓に納めてあげよう、と思った時に穏やかな気持ちになれると思うのです。

何が言いたいのかと言うと、出来るだけ、後悔をしないように。

そんな風に生きていけたらいいなぁ、と思った次第です。