後悔 




いきなり不穏なタイトルですが、お墓に関するお仕事をするようになって、日常生活を普通に過ごして学生時代を終え、就職して社会に出て…と誰もが通るような普通の生活をしていると、避けられない事でいて、正解のないよく分らない事が、お墓に関する事なんじゃないか、と言う気がします。

お客さんとお話する中で、これってどうしたらいいの?

こんなことをしても大丈夫?

と一番お客さんの疑問が多いのが、お骨のお話。

お骨を分けて何ヶ所にも納骨してもいいの?

とか

分骨をして二つのお墓にお骨を納めたのに、手元供養にも更に分けたいんだけどそんなことをしてもいいの?

とか、お骨をどうすればいいのかというお話をよく耳にします。

人によって、お話を聞くお寺さんによっても答えや考え方の違う事だけに、悩みますよね。

その他でも、お墓はいらないと思っていたけども、いざ身近な方が無くなってみて、小さくてもいいから何か「拠り所」になるような「カタチ」が欲しいと思うようになった。

というお話もよく聞くお話。

ここで、タイトルの後悔、という言葉に繋がるのですが、誰か人が無くなると、今の日本ではほぼ間違いなく「火葬」を行われると思います。

最近は葬儀の簡略化で、お葬式もお通夜もしないで、と言う事もあるようですがそれでもやっぱり火葬だけは行われていると思います。

火葬場で、お骨を拾っていく、なんてことはきっと一生のうちにそう何度も経験することではなくて、葬儀や、お墓へのご納骨だって、経験のないこと。

そして、学校ではそういう時どうしなさい、どうすればいいですよ、とは教えてくれないのですよね。

いざ、お葬式に参加することになって、お焼香ってどうすればいいの?

数珠ってどっちの手に持つもの?

よく分らなくて、周りの人の見よう見まねで参列していた記憶が自分にもあります。

そんな時、ちょっと後悔したり…。

そして、そんな後悔では取り返しのつかなくなることが、先ほどの火葬の時に起こるのです。

後になってみて、お骨を「貰っておけば良かった」と思った場合、もうどうしようもないんですよね。

最近は、火葬場でのお骨を拾わずに帰る方も中にはいらっしゃるそうで、そんなお話を聞くと、ちょっと寂しくなります。

後になって、お墓に納めるものがなくって、なんて後悔は、出来ればしてもらいたくないなぁ、と。

ほんの少しでもお骨を手元に持たれていると、きっと「貰ってきたら良かった」という後悔はしなくてよくなって、時間がたった後でも、小さくてもいいからお墓に納めてあげよう、と思った時に穏やかな気持ちになれると思うのです。

何が言いたいのかと言うと、出来るだけ、後悔をしないように。

そんな風に生きていけたらいいなぁ、と思った次第です。