今日で、阪神大震災から21年が経つんですね。
震災当時は小学校6年生で、高槻も結構な揺れだったみたいです。
みたい、と言うのも実は発生時間が早朝ということで、思いっきり寝てたんですよね。
二段ベッドの上の段で、下に妹が寝ているにも関わらず、揺れにも気付かずに寝てた、と親に言われました。
親はビックリして、飛び起きて子どもの寝る部屋を見に行ったのにお前はのんきに寝てた、と散々言われましたからね。
今も昔も、寝ている間は割と何が起こっても気がつかない性質は変わっていないと思います。
そんな図太い子なわけですけども、小学校の6年生の一月、卒業を間近に控えた時期、なんですよね。
地震の事で覚えていること、と言えば当日は学校が休みになったこと、朝起きてからの余震が何度もあったこと。
父親が出勤した(母親は娘二人も学校が休みなので、仕事を休んだ)ものの、余震が続く中、バスに乗ろうとして、駅まで行っても電車が動いてないよ、とバスの運転手に言われて帰ってきたこと。
食器棚の中のグラスが倒れて、下敷きを差し込んで倒れないように食器棚を開けるのを苦労したこと、そんな感じです。
あと、卒業した小学校は6年生の最後の給食の日だけ、特別なデザートとして、ケーキが出るのですけども、その年は震災の影響なのか、学校側が自粛したのか、ケーキがなしになって、残念だっとこと、それなのに、保険の先生だったかな?先生のご厚意で6年生全員分にケーキの代わりに「ペコちゃんのほっぺ」という不二家さんのお菓子を買ってきてくれたことは、未だに忘れません。
被災地でもない小学生にとって、映像で見るだけの遠いどこかで起こった出来事で、直ぐに日常が戻って来た感じでした。
そう言えば、大学は、伊丹にある大学へ行ったので、大学時代に神戸出身の子と友達になって、震災当時の話を少し聞いたりしたことがあります。
友達の話しの中の震災当時は、自分のものとは全く違って、カセットコンロが必須だったこと、ライフラインの確保が大変だったこと、電車で1時間程の場所なのに、全く違う経験をしてきた事は衝撃でした。
毎年、この時期だけ思い出す阪神大震災ですが、忘れないように、生きてかなきゃなんですよね。







