浄土真宗

 

浄土真宗

浄土真宗の宗祖は親鸞(1173~1262)です。親鸞は初め比叡山で修行に励みましたが、29歳の時、京都六角堂に参籠したおり、聖徳太子の夢告を得て、法然の下に参じたといわれています。阿弥陀仏の本願他力の回向(えこう)によって往生すると説くもので、法然が念仏称号を根本とするのに対して親鸞の立場はむしろ信心に徹底し、信が定まったときに必ず仏となる者の仲間(正定聚という)に入る、すなわち、浄土往生以前にこの世で救いが成就する(現世正定聚)とされました。しかもその「信心」も「念仏の行」も、如来より施与(廻向)されたものとされ、絶対他力の教学を完成しました。晩年には自然法爾(じねんほうに)と述べています。なお、親鸞は妻帯も仏道を妨げないことを唱え、非僧非俗と称し、出家教団とは異なる教団を形成しました。親鸞の没後、本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・興正派・木辺派・三門徒派・山元派・誠照寺派・出雲路派の一〇派に分かれた。また、僧は妻帯を許された。真宗。一向宗。門徒宗ともいい、明治以降「浄土真宗」と名乗りました。現在、真宗教団で最も大きなものは、浄土真宗本願寺派(西)、真宗大谷派(東)の東西本願寺教団です。本願寺は元来、親鸞の廟堂であり、親鸞の子孫が管理しました。三代覚如(1270~1351)の時、本願寺となり、第8代の蓮如(1415~1499)は活発に布教活動を展開し、今日の大教団の基礎を築きました。なお、東本願寺は、徳川家康が当時現職を離れていた教如(光寿)に施与したもので、それ以前からあった本願寺を西として、東西両本願寺が並び立つこととなりました。浄土真宗には授戒がないので「戒名」と言わず「法名」と言います。法名の前に男性は「釈」字を、女性は「釈尼」字をつけます。浄土真宗では、院号・道号・位 号はありません。位牌もありません。また死後の霊魂を認めませんので、追善供養や卒塔婆はなく、お盆などの習慣も他宗と異なった解釈をします。「墓石」には、「南無阿弥陀仏」「倶所一処」と彫ることが多く、梵字も使いません。

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