
常見寺
常見寺はJR・阪急摂津富田駅(京都線)より徒歩約7分、駅に近くお参りに大変便利でお年寄りにやさしい墓苑です。浄土真宗の方にご案内、信仰の喜びを深めよう。 常見寺の歴史 はじまり(開基)について常見寺の歴史は古く、今から七五〇年以上も前にさかのぼります。 親鸞聖人が関東から京都へお戻りになった後に、既に天台の僧侶として出家してた浄空法師がお念仏の教えを受けられたのです。 これを機に阿弥陀仏に帰依し、高槻の地に念仏道場を建てられたのです。その念仏道場は浄空の俗姓より「利井坊」と名付けられました。 「常見寺」の寺号について 念仏道場から寺院になり、「常見寺」となったのは、顕如上人の頃です。 キリスト教信奉者の高山右近が城主の頃は、一時、山田之庄へ移っておりましたが、高山右近が高槻を去った後に、今の地に寺院を建立し、顕如上人より「常見寺」の寺号を賜りました。 その折、宗祖より教化をいただき、開基された念仏道場「利井坊」の由緒を述べ、山号の変わりに、「利井常見寺」と賜り、現在の常見寺の基となるのです。 学問と布教の常見寺 第十八世明朗法師、第十九世鮮妙法師は兄弟で、幼い頃より空華学派の行照や肥後の僧亮に宗学を学び、後に僧侶育成の為に「行信教校」を設立する。 明朗は二度の執行長(今の本願寺総長)を務める他、生涯を通じて本山の護持に貢献されました。また鮮妙は本願寺勧学となり、単に学問としてではなく、「学仏大悲心」のもと、阿弥陀仏の大悲のおこころを深く味わい探求されたのです。この「学仏大悲心」の精神は後世に受け継がれ、「行信教校」からは勧学・司教を始め多くの宗学者を輩出し、後の住職は全国にその御法義流布の為に布教活動を精力的に行うのです。