本願寺西山別院のご紹介

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本願寺西山別院

平安時代、桓武天皇の発願により、伝教大師最澄は京都西山の地に「久遠寺」を創建しました。 恐らく800年前後のことと思われます。この「久遠寺」が西山別院の前身となりますが、やがて廃れ長らく荒れていた模様です。 その寺基を、1314(正和3)年、本願寺第三代宗主覚如上人が復興されました。 以後「久遠寺」は浄土真宗「念仏の道場」となります。 覚如上人ご往生の後はご廟所がつくられ、「久遠寺」は本願寺歴代宗主兼帯所として大切にされてきました。ところが室町期に入ると、応仁の乱が勃発。戦国時代には織田信長との抗争が起きるなど、本願寺に対する法難が相次ぎ、「久遠寺」は騒乱の最中再び荒廃していきました。 漸く再興の兆しが見え始めたのは、乱世が終焉を迎え、本願寺の寺基が堀川花屋町に定まり、東西本願寺の分立騒動も落ち着いた頃。第十四代寂如上人先導のもと「久遠寺」の寺地は、徐々に整っていきます。 1756(宝暦6)年、第17代法如上人の時、本願寺旧本堂(阿弥陀堂)が、新たな本堂造営に伴い、西山の寺地に移築されました。これを機会に、諸堂が次々と建立され、やがて一時は本願寺筆頭別院に列せられるほど、当寺院は興隆しました。 大正時代、現中央仏教学院の元となる学林が設けられました。その流れを汲み、現在では浄土真宗本願寺派僧侶を育成する「得度習礼・教師教修研修道場」と、宗教的情操教育を主眼とする 「西山幼稚園」が境内に併設されています。 覚如上人最大のご功績は、本願寺教団を創設されたことにあります。 そのフロンティア精神は今尚西山の地に息づき、未来の伝道者を育んでいるのです。

新着情報

15.06.05
本願寺西山別院新規取り扱い開始

インフォメーション

浄土真宗の墓石文字彫刻について

担当者

担当者 浦 綾希子

ごあいさつ

浦 綾希子 本願寺西山別院
阪急京都線、桂駅東口より南へ徒歩3分好立地です。
墓地も平坦なバリアフリー仕上げ。
墓地申込受付中です、詳しいことは、お気軽にお問い合わせください。

京石へのお客様の声

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お墓のことはよくわからなったのですが、京石さんに相談して良かったです。
環境がよくてととても満足しています。
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お墓を建てるにあたって相談しました。
イメージ通りのお墓になりました。

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