文藝春秋 天皇皇后両陛下123人の証言に当社会長の記事が掲載されました。
日光に近衛としてお供して
日光儀杖隊OB 四ノ宮 千春
記事全文
平成六年一月、新御所完成のお祝いで両陛下に拝謁しました。終戦間際、日光への疎開にお供した近衛歩兵第一連隊の司令官だった
田中義人さん、日光儀杖隊の隊長だった大矢孝三郎さんもごいっしょでした。
日光で終戦を迎えられた陛下とのご縁は戦後も続き、近衛のOB組織である
全国近歩一会などの活動を通じてお目にかかっておりましたが、
即位後初めての拝謁でもありましたので、儀杖隊会からお祝いとして人間国宝の
磯井正美作蒟醤角盆「つらつら椿」を献上しました。
近衛師団にいた私が日光儀杖隊への配属を命じられたのは昭和十九年六月のことです。
日光にある田母沢御用邸の護衛として数十人で出動しました。
それから約一年後の昭和二十年七月、日光からさらに西の奥日光に移動することになりました。
襲撃されたB29を検分したところ、機内に残された地図の日光東照宮のところに
爆撃対象の目印が付いていたというのです。田母沢御用邸は東照宮の目と鼻の先でした。
奥日光では毎日、陛下をお見かけしました。陛下は南間ホテルに滞在され、近隣のスキ-小屋を
改修した小さな建物を学問所とされ通っておられました。
私の記憶に今も鮮明にあるのは、よく赤い自転車に乗られていたことです。東京の御所では
乗馬を日課にされていましたが、その代わりだったのでしょうか、非常に熱心に乗っておられた。
傅育官が「もうお休みの時間ですから」と止めてもお聞きにならない。当時は小学校六年生。きっと楽しかったのでしょう。
平成も三十一年となり、お元気なうちに退位されることは少しさみしくもありますが、その時代時代に合わせての
ことと思います。少し休息を取られ、皇后陛下とテニスや音楽などを楽しんでいただきたいです。