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日蓮宗 一乗寺

千館法師が天徳年間(957~961年)に創建し、当初は金仙寺と称したが、その後荒廃し毘沙門天二体を残すだけとなっていた。

応永34(1427)年に宇野・西村氏という当地の有力者が、京都一条戻り橋にて 辻説法をする日親聖人の姿に感動し、この地を献じて再建開山と仰ぎ一乗寺と改称された。 日親聖人はその後度々室町幕府を諌め、投獄の末遂には焼けた鍋を被せられるという拷問にも退転せず、 全国に教線を拡張したことから「なべかむり日親」と尊称されている。 第六世日栄上人の代、徳川頼宣の息女松姫が参籠し病気平癒を成したことから頼宣の生母養珠院により 慶安3(1650)年、本堂等の伽藍及び一万石の寺領が寄進された。

その後も代々紀州徳川家の崇敬が厚く、頼宣や松姫の書画什物が多く伝えられている。 本堂・庫裡等は平成に入り再建されたが、三十番神童・山門・鐘楼は当時のまま復元されている。 境内には「弁慶駒つなぎ」と称される樹高30mを超える楠や「火伏せ」銀杏(ともに高槻市指定保護樹木)等の 自然が残されている。

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